本島に行くなら、どうしても行きたかった平和記念公園。
高校の修学旅行でも行ったけど、そんなに時間はなくて、ゆっくり見て回れなかった気がするんだなー。
戦争のこと、考えたり、知ったりする時間は、学生時代に比べて圧倒的に減ったから、もう一度、ちゃんと観に行こうと思って。
8:30についたけど、資料館は9:00からだったので、バスのおじさんに案内してもらいながら公園をぐるっと一周する。
各県の慰霊碑を通って、丘の一番高いところから、民間人が追い詰められて身投げをした崖をおじさんに紹介してもらって見せてもらう。
今はすごく見晴らしが良くて、絶景。
この海岸線に米軍の船が押し寄せて真っ黒になっているなか、飛び降りた人の死体が波打ち際に累々としている様子を、想像しただけで涙が出てくる。
今は、整備されてどこもかしこもすごく景色がいいんだけど、それが逆にすごく悲しい気分になる。
沖縄県平和記念資料館ホームページ↑
展示内容や当時の証言は、ホームページでも閲覧できます
平和な今、こうやって平和記念公園を、アメリカの人、朝鮮半島の人、日本の人、いろんな人が訪れて、同じ空間で戦争について展示を見て回ってるのは、なんだかすごく不思議な感じ。
この光景って、あのころには絶対なかった光景だから、こうやって同じ空間でともにいられることは、すごく有難いことなんだなぁ。と沖縄に行って初めて思った。
米軍の侵攻で傷ついた人のことはもちろん、私が悲しかったのは日本が自国で行った教育や、命令が基で散っていった命もとても多かったっていうこと。
沖縄の人や、南の国々の人から方言や文化を奪って無理やり同化させようとしたり、素直な子どもたちに、天皇のために生涯をかけてつかえる臣民としての教育を施したり・・・
そんなことが当たり前に行われて、異を唱える人がどんどん国賊として取り締まられていく社会、単純にすごく怖くなった。
戦力の差は明らかで、ぶつかる前にきっと勝敗はわかってたのに、それでも最後までやめれなかったのはなんでなんだろう。
会社の経営でも言われるけど、最後の大勝、逆転の可能性を感じて、リスクを低く見積もって引き時を誤ってしまう、そんな心理が働くんだろうか。
自分たちも誰かに支配されるかもしれない不安定感とか怯えとか?
どんだけ考えても本当のところはわからないけど、「戦争」という手段はやっぱり違うと思う。
対話だけで世界がうまくいかない現状くらいはわかってるけど、それでもやっぱり武力以外の道筋を最後の最後まで探したい。
今この世の中で何がネックになっているんだろう
戦争しても、誰ももうからない仕組みになったら戦争は終わるのかな?
世の中には頭の良い人がたくさんたくさんいるけど、そのボトルネックを見つけてばしっと世界が変わることははたしてこの先あるんだろうか。
私は、笑って毎日暮らしていきたいなぁ。。。